悲しめばいいじゃない
どうも、P太郎です。
誰かが死ぬのは 悲しい
当たり前の話ですが、「死」は悲しさを伴うものです。
それがごく親しい人・・・たとえば肉親の死であればとりわけ、でしょう。
でもそれはどんな人にでも起こりうることです。遅いか早いかだけの違いでしかなく。。。
絶対不可避な悲しみを目の前に、ただただ茫漠とした時間を過ごす・・・
肉親の死を迎えた身にできることなんて、その程度しかないかもしれません。
私自身も昨年身内を…つまり母を亡くしたときは、しばし茫然自失として何も手に付きませんでした。
ただ時間薬に頼り、日々を過ごすのみだったと思います。
もしかしたら今も対して変わらないかもしれません。
それでも人は前に進まなくてはいけない
けれども。地球はちゃんと・・・残酷にもちゃんと回ります。
今日も世の中は動いています。
少しだけ休んだら、心がどんなに痛くても立ち上がらないといけません。やむなく立ち上がった私も、今なんとか、こうしてブログを書ける程度には頑張れています。
「どうやって立ち直ったの?」
時としてヒトは問います。
違うよ。
立ち直ってなんか、居ないよ。
心に穴は空いたままだよ。
心に穴を 開けたままでも いいじゃない
朝ドラ「お帰りモネ」(リンク)で、浅野忠信演じるアル中おじさん(奥さんを東日本大震災で亡くして、酒に溺れてしまったようです)がこんな事を言うのです。
「立ち直ってなんか やるもんか!」
そう。それでもいいんだと思うのです。
つらすぎる悲しみには立ち向かわなくていい。抗わなくてもいい。
ただ流れに任せて悲しむ…悲しみながら最低限で生きる…
…というのも、一つの生き方で良いんじゃないかと。
きっと心にぽっかり空いた穴は、前とは違う形で、
時間や周りの優しい人達が埋めてくれますから。
たっぷりと悲しむといいのじゃないでしょうか。
今とりあえず日々を過ごせている僕は、あのときたくさん悲しんでよかったと、今も悲しくてよかったと、何故かそう思っています。
今日はここまで。
では、良い人生を。