どうも、P太郎です。
気温も上がり、春の訪れとともに花粉も訪れているわけですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
ワタクシはといえばちょっとしんどいですw。
春が今ひとつウキウキしきれないのは完全に花粉のせいでして、
仕方なきこととはいえ、これさえなければもっと幸せなのにな、というのはどうしても思ってしまうわけです。
「幸福」。ヒトって誰しもこれを追求していると思うんですけど、
花粉に限らず、幸福を妨げるものって世の中にたくさんありますよね。
そんなわけで、今日はアドラー心理学の観点から見た、「幸福」についてのお話を。
アドラー心理学は幸福の心理学
聞くところによると、アドラー心理学を「幸福の心理学」と呼ぶことも在るらしいです。
こう呼んでしまうと、「いよいよ宗教じみてきたな」なんて言う人もいるのですが(^_^;)
真面目な話、ワタクシ自身、アドラー心理学を学んでから幸福にヌルリと近づいたと感じています。
例えば、ちょっと皆さんにお訊きしたい。
「貴方は幸せになりたいですか?」
これ、多分ほとんどの人が「YES」と答えてくれるでしょう。
では重ねてお訊きしたい。
「幸せの条件って、何でしょうか?」
こう質問すると、急にモゴモゴしだす方って多いですよね。いや僕もそうですけどね。
まああんまり深く考えずに、言うなれば、人の価値観なんてヒトそれぞれなわけで、
幸福の形だってヒトそれぞれだよねえ、っていうのが一応の解でしょう。
それはそれで一つの解なのですが、
やはり普遍的な解を求めてしまうあたり、高IQ団体メンバの性なのかもしれません。
アドラー的な幸福の条件とは
さて、アドラー心理学においては、幸福をどのように定義づけているのでしょうか。
アドラーいわく、次の3ステップでヒトは幸福になれるそうです。
- 自分を好きになること
- 他者を好きになること
- 他者に貢献すること
なんというか、わかったような、わからんような…?
Step 1 自分を好きになること
アドラー的な幸福の第一段階は、「自分を好きになること」です。
これね、結構な人がズッコケていますよね。
正直ね、日本の文化って、
みんなと一緒でいられるヒトが評価される=ちょっとでも違うと叩かれる
概ねこんな価値観でシメられています。
もちろん故あっての文化なのですが、
なんというか、自己肯定感の育ちにくい文化よな、っていうのはずっと思っているところです。
他でもない僕自身が、人生のある時期まで自分のこと大嫌いでしたからね。
まあその御蔭で今の自分が在る、という側面もあるのですが、
やっぱりね、自分って、何者にも代えられませんから。
逃げられませんから。自分からは。
そんな中でね、その代えがたい・逃げられやしない自分がね、嫌いってのはね。
辛い。
辛いことだと思うんですよ。
まさしく、幸福を妨げる第一関門、なわけですね。
でもね、
「そんな事はわかっているんだ。でも自分のことがどうしても好きになれないんだ。」
「だって、学校ではいつもいじめられていたし…」
「だって、勉強でもスポーツでも全然ダメだったし…」
「だって、だって、だって、…」
…みたいな方、きっとたくさんいらっしゃると思うんですよね。
大丈夫ですよ。
そして、そんな貴方への特効薬を提供できるのが机上の空論で終わらない、実践心理学であるところの、「アドラー心理学」なんですよ。
いろんな技法がありますので、ちょっとずつ書いていきますね。
ちょっと長くなってきたので、幸福の条件3つのうち、残り2つは明日以降に改めて。
今日の名言
「未熟な自分を責めてる限り幸せにはなれない。
未熟な自分を認めること。それができる者だけが強い人間になれる。」
(アルフレッド・アドラー)
では、良い人生を。