01_00_アドラー心理学

アドラー的・幸福の条件3つ(のうち1つめ)

どうも、P太郎です。

気温も上がり、春の訪れとともに花粉も訪れているわけですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。

ワタクシはといえばちょっとしんどいですw。

春が今ひとつウキウキしきれないのは完全に花粉のせいでして、
仕方なきこととはいえ、これさえなければもっと幸せなのにな、というのはどうしても思ってしまうわけです。

「幸福」。ヒトって誰しもこれを追求していると思うんですけど、
花粉に限らず、幸福を妨げるものって世の中にたくさんありますよね。

そんなわけで、今日はアドラー心理学の観点から見た、「幸福」についてのお話を。

アドラー心理学は幸福の心理学

聞くところによると、アドラー心理学を「幸福の心理学」と呼ぶことも在るらしいです。

こう呼んでしまうと、「いよいよ宗教じみてきたな」なんて言う人もいるのですが(^_^;)

真面目な話、ワタクシ自身、アドラー心理学を学んでから幸福にヌルリと近づいたと感じています。

 

例えば、ちょっと皆さんにお訊きしたい。

 

「貴方は幸せになりたいですか?」

 

これ、多分ほとんどの人が「YES」と答えてくれるでしょう。

では重ねてお訊きしたい。

 

「幸せの条件って、何でしょうか?」

 

こう質問すると、急にモゴモゴしだす方って多いですよね。いや僕もそうですけどね。

 

まああんまり深く考えずに、言うなれば、人の価値観なんてヒトそれぞれなわけで、
幸福の形だってヒトそれぞれだよねえ、っていうのが一応の解でしょう。

それはそれで一つの解なのですが、
やはり普遍的な解を求めてしまうあたり、高IQ団体メンバの性なのかもしれません。

アドラー的な幸福の条件とは

さて、アドラー心理学においては、幸福をどのように定義づけているのでしょうか。

アドラーいわく、次の3ステップでヒトは幸福になれるそうです。

  1. 自分を好きになること
  2. 他者を好きになること
  3. 他者に貢献すること

 

なんというか、わかったような、わからんような…?

Step 1 自分を好きになること

アドラー的な幸福の第一段階は、「自分を好きになること」です。

これね、結構な人がズッコケていますよね。

正直ね、日本の文化って、
みんなと一緒でいられるヒトが評価される=ちょっとでも違うと叩かれる
概ねこんな価値観でシメられています。

もちろん故あっての文化なのですが、
なんというか、自己肯定感の育ちにくい文化よな、っていうのはずっと思っているところです。

 

他でもない僕自身が、人生のある時期まで自分のこと大嫌いでしたからね。

 

まあその御蔭で今の自分が在る、という側面もあるのですが、
やっぱりね、自分って、何者にも代えられませんから。

逃げられませんから。自分からは。

そんな中でね、その代えがたい・逃げられやしない自分がね、嫌いってのはね。

 

辛い。

 

辛いことだと思うんですよ。

まさしく、幸福を妨げる第一関門、なわけですね。

でもね、
「そんな事はわかっているんだ。でも自分のことがどうしても好きになれないんだ。」
「だって、学校ではいつもいじめられていたし…」
「だって、勉強でもスポーツでも全然ダメだったし…」
「だって、だって、だって、…」

…みたいな方、きっとたくさんいらっしゃると思うんですよね。

大丈夫ですよ。

そして、そんな貴方への特効薬を提供できるのが机上の空論で終わらない、実践心理学であるところの、「アドラー心理学」なんですよ。

 

いろんな技法がありますので、ちょっとずつ書いていきますね。

ちょっと長くなってきたので、幸福の条件3つのうち、残り2つは明日以降に改めて。

今日の名言

「未熟な自分を責めてる限り幸せにはなれない。
未熟な自分を認めること。それができる者だけが強い人間になれる。」
(アルフレッド・アドラー)

では、良い人生を。

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