00_雑記

アドラー心理学で考える、劣等感は人を育てるっていう話

 

劣等感は用法用量を守って正しくお使いください

 

どうも、P太郎です。

劣等感、コンプレックスの塊、それがワタシ

自分の人生を振り返ってみれば、なんと劣等感にまみれていることでしょうか。

本来であれば人生のベースとなるはずの10代を偏差値30の中学高校で過ごした関係で、自分が高学歴だったらきっと今より楽しい人生だったろうなあとか、低学歴のせいで世間の風当たりが妙に強くて無理ゲーなんだよなあとか。。。

とにかく、そんなコンプレックスで頭の中がいっぱいだったように思います。

いま思えば、少々思い込みが強かったように思うのですけど(汗)、まあこれも自分なんでね。特別否定しようとは思いません。実際そんなことを思っていました。うん。

というかむしろ、学歴に対する劣等感・学歴コンプレックスがあったからこそ今の自分があるとすら思っています。

劣等感コンプレックスについて

アドラー心理学では「劣等コンプレックス」という言葉が出てきます。劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げ出そうとする態度のことです。

僕の例で言えば、「僕には学歴がないから、世の中は僕の能力と無関係に僕のことを否定するし、何をしても無駄に違いない」と人生の課題を投げ出し、ひっくり返っちゃうような様のことですね。

こうして文章にするとなんとも情けないですけど(汗)、まあありそうな話ではありますよね。

当然ながら、「それじゃだめだぜ」っていうのがアドラー心理学の立場であります。

劣等感だって使いよう

ここで重要なのは、劣等コンプレックスに打ちのめされてひっくり返るのも、劣等感をバネにして人生の課題に立ち向かっていくのも、自分で好きな方を選べるということです。

僕は結局、学歴がなくて人生立ち行かない状況をまずは受け止めて、それを立て直す道を選びました。結構な労力が必要でしたし、ある意味での人生の課題に立ち向かった、という意味では勇敢だったのかもしれません。

その意味では自分を褒めてやりたいです。

またいっぽうで、世の中に打ちのめされてひっくり返ったってそれはそれで一つの選択なんだと思うんですよね。結局そっちは選ばなかったのでなんとも言えないですけど、その状況の中でまた最適な状態を探していくんでしょうし、案外それはそれで楽しかったのかもしれません。

まあ、この体験を通じて、「劣等生があったからと言って、それが人生の決め手に必ずしもならない」っていうのはよくわかりました。

結局の所、意思あるところに道は開けるんですよね。

 

 

 

 

 

今日はここまで。

 

では、良い人生を。

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