自分探しの旅の前に まずは鏡を観てご覧なさい
どうも、P太郎です。
対”他人”よりももっと難しいかも知れないこと
「アドラー心理学」は言い換えれば「人間関係学」だな、と思うことがありまして、自分と他人との関係をいい感じにやっていくためにどうすべきか、ということをメソッド化した学問だと、学んでいて思います。
なのですが、対”他人”よりももっと身近で、ある意味で厄介な存在を皆さん意識したことは在るでしょうか。
それは、「自分」です。
絶対に逃げられない存在、「自分」
考えてもみてください。
対”他人”であれば、ものすごく関係が悪くなったとしても、最悪「バイバイ」すればそれで大抵の問題は解決します。
アドラー心理学的に言えば「全ての悩みは人間関係に通じる」わけで、人間関係を取っ払ってしまえば問題なんて無いさ、というわけです。
でも、これが自分だとどうでしょう。
どうやっても逃げられやしません。
鏡を見れば必ずそこにヤツは居るのです。
常に貴方と共にあり、世界で唯一の「貴方自身が主体的に動かせる」存在。そして同時に、どんなにイケてない要素があったとしても、「あるがまま」を受け入れるしか選択肢のない厄介な存在。
それが自分です。
アドラーの話をするとき。「自分が嫌いだ」という方によく出会います。思うことはその人の自由でしょう。でも、その自分というものをどうにかやりくりして、人生というものを我々はこなしていかなくてはいけません。
どんなにイケてなくても「自分」を認めてやろう
さて、かく言うワタクシは、かつて自分のことが大嫌いでありました。頭は悪いし、気も利かないし、友達もついでにお金も持っていません。
そんななにもない自分が心底嫌いでした。
でも、そんな「自分」から、「僕」は逃げなかったんだな、と今になって思います。ちゃんとイケてない自分を認め、そこから建て直すことを厭わなかった。
amazarashiの名曲「未来になれなかったあの夜に」の歌詞を借りれば、
『ただ一つだけ言えること僕は 僕に問うこと諦めなかった』
…んだなと、そう思います。
で、現在進行系でこの姿勢は続いています。
今だにできないことはたくさんあるし、なんでこんなにイケてないんだろうって思うこともしょっちゅうです。なんですけど、先ずそこから目をそらさず、「コレが自分なんだよなぁ」、「それでも俺なりに頑張ってきたよなぁ」と認めてやる。
そしてそこから何かを始める。
それを愚直に繰り返せば、いつかきっと自分のことが好きになれますよ。今の僕がそうであるように。
今日はここまで。
では、良い人生を。