弱い者たちが夕暮れ 更に弱いものを叩く
どうも、P太郎です。
弱者なんて切り捨てればいい…んでしょうか?
某メンタリストさんの発言が波紋を呼んでいるようです。(リンク)
「ホームレスの命なんてどうでもいい」というのが趣旨の発言のようですが、色んな所から批判の声が多数上がっているようですね。いちいち取り上げないですけど。
個人的には、ちょっと尖った意見だよなとは思いますよね。
ただ一方で、僕自身が家族と真っ赤な他人との命を天秤にかけたら、おそらく家族の命を優先するであろうことを考えると、命の優劣っていうのは誰しもがもっているだろうなって、そのくらいは思うんですよね。
とはいえ、、、生産性が低いとか、自分にとってどうでもいいからとか、そんな理由で弱者を切り捨ててしまってほんとにいいんだろうか、というのが今回の話です。
それは未来のあなたかも知れない
弱者にも色々あります。
例えば経済的弱者。ホームレスとか、生活保護をもらっている方とかが該当するでしょう。他にも身体的に障害をお持ちの人なんかも弱者ということになるかも知れません。国や地域によっては出身や出自で弱者に扱われるようなケースも在るでしょう。
情弱…はちょっと違うかな(汗)
さて、今コレを呼んでいる方。あなたはいま、たまたま「弱者」ではなかったとしましょう。けれど、これから先はどうでしょう?
会社が突然倒産したり、ひどい詐欺にあったり、大きな事故にあうかも知れません。
その時、あなたは、自分とは遠い存在だったはずの「弱者」になるのです。
イザとなったら弱者も生きられる社会って、良いよね
こう考えると、弱者に優しい社会のほうが健全だよなって思うのです。
イザってときのセーフティーネットが在るから、チャレンジもできるし、最悪死なないで住む。だから生きてさえいれば、何とかやり直せる。。。
その安心感が在る社会って、実現はすごく大変だったはずだし、批判はいろいろ在るにせよ、実現できている今の日本社会ってすごいと思うんですよね。おそらく、余裕のない国では実現できてないはずです。日本に生まれてよかった。
なので、社会はその余裕の範囲内において、なるべくたくさんの弱者を救えるようにしておくべきだ、と思うわけです。それでこそ健全な社会であろうと。。。
もちろん余裕の範囲でだけどね。
今日はここまで。
では、良い人生を。