答えは今でもわからないままです
どうも、P太郎です。
普遍的な問い 「なぜ生きるのか」
「人はなぜ生きるのだろうか」と考えたことはありませんか?
有史以来、数多の哲学者たちが考え、哲学者じゃない人達も考え、要するに全人類が考えちゃいるけど結局よくわからない。それがこの問だと思います。
僕ですか。いっちょ前に考えたことありますよ。特に中学生くらいのときとかピークだったんじゃないですかね。まさに厨二病。なんつって。
ま、IQ高かろうがトーダイ出てようが、わからんもんはわからんのですけどね(汗)
「生きる理由」と言われて思い出すこと
僕がまだ中学生だった頃、「女神異聞録ペルソナ」(リンク)というゲームが有りました。
このゲーム含みましてATLASの女神転生シリーズって言えばストーリー的にも難易度的にもライト層そっちのけのハードなテイストで知られていまして。
このペルソナもご多分に漏れず、「セーブポイントが少ない」「エンカウント率が高い」「ダンジョンが長い」「操作性が悪い」とまあ、お世辞にも遊びやすいとは言えない感じだったのですが、一方でその重厚にしてハードボイルドなストーリー、ときにムーディでときにハードロックなサウンド、そして大変味がある独特の世界観が相まって、遊び手をどんどん引き込む名作に仕上がっておりました。
特にストーリーが最高なんですよね。
「ペルソナ」という言葉自体が哲学的なものではあるのですが、いち高校生が悪魔や天使の力を使役しつつ、オトナたちと大立ち回りをする…だけでなく、常に「貴方はなぜ生きているのか」を問われ続ける。
「いや、10代にそんなこと聞くなやwww」と思いつつも、中2時分の僕には大変心くすぐられる内容であったわけです。
では問おう 「君が生きている理由は?」
で、このゲームを通して、僕なりに「さて、自分はなぜ生きているんだろうか」みたいなことを考えるに至ったわけですね。
ゲームをやれば分かる通り、ペルソナにはペルソナなりの答えが用意されていたわけですけど、それはこのお話の答えであって、僕の答えではない。まあ同じ答えにしても良いんですけど(汗)、一応なんでも自分なりに考えてみたいタチなので。。。
で、まあ、当時思ったのは、「自分は何者でもないよなぁ(哀)」ということと、「その何者でもない自分がどこまで行けるのかはトコトン見てみたいよなぁ」ということでした。
一応、これが僕なりの、中学生時分の「生きる理由」です。
現在の答えは当時とはちょっと違ってきていますが、根っこは同じなんですよね。結局、自分がどこまで行けるのかが知りたい。
気づいたらトーダイに行っていたように、気づいたらMENSAに入っていたように、気づいたら難関資格をいくつも持っていたように…
もういい感じにおっさんになってきてるんですがw
案外まだまだ、自分は自分をびっくりさせてくれるんじゃないかなって。
今も心のどこかでワクワクしているのです。
今日はここまで。
では、良い人生を。